HSPでニートの僕が立ち直るまで

著者:長池涼太(HSP研究・エビデンスを発信するブロガー)

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今はフリーランスとして活動していますが、実はこう見えて僕は丸2年ニートでした

元々会社を転々としつつも会社員をやっていましたが、転職先の農業法人をクビになってから自信を無くして働くことができなくなりました

とはいえ、僕はこのニートだった2年間はあって良かったなと思います。

むしろこの2年間があったからこそ、今の僕があると思っています。

僕がニートになった理由

僕は2011年の11月から2016年の2月まで塾講師として働いていました。

その塾講師を辞めて転職先を探していく中で、僕が大学で農業を専攻したこともあって転職先を『農業』に定めました。

幸いすぐに求人が見つかり、地元の農業法人に入社、社員登用有のアルバイトとして働くことになりました。

しかし、その農業法人も入社わずか3週間でクビになりました

僕のスキル不足もありましたが、何よりダメージが大きかったのは社長にクビを宣告されるときに「おまえは価値のない人間だ!」などといった人格否定の言葉を30分間浴びせ続けられたこと

この件は僕にとっても精神的なダメージが甚大でした

おかげでそれ以降も表面上はハローワークに通うなど通常の転職活動はしていましたが、内心は「働くことが怖い」という状態になっていました。

もはや自分が会社で働く姿が想像できない、そんな状態になっていました。

りょうた
りょうた

それまでの経験からハローワーク求人の質にも懐疑的でしたからね。

ニートから今に至るまで

ブログを始めた

パソコン

2016年5月いっぱいで会社をクビになり、6月からは再び無職(ニート)

すぐにハローワークに行って転職活動を開始したものの、クビになったショックがデカすぎて転職活動に身が入らない状態でした。

りょうた
りょうた

加えてハローワークの求人に対して疑心暗鬼担っていた部分もありました

そんな中、ネットサーフィンでたまたま見つけたのが「あんちゃさん」という女性のブロガーでした。

当時ブロガーとしてアクセスを集め、収益もしっかり出していて、会社を離れフリーランスとして活動しているのを見て素直に「すごい」と思いました。

自分がブログで「稼ぐ」というのはまだそこまで頭になかったですが、それでもブログをやることで変われると思い、まずははてなブログでブログを始めました。

単発の仕事を不定期にやった

もう一つ変化…というかやったのがシェアハウスへの移住。

2017年の7月~2018年の1月まで茨城県坂東市(けっこう田舎)にできた「リバ邸茨城」に移住しました。

当時ニートだったとはいえ、家賃など実家にいたときより支出が増える以上は何らかの収入源は必要でした。

そこで当時僕がやっていたのが単発のアルバイト

元々坂東市は高齢者率はかなり高く、当時僕も29歳でしたが20代の若者というだけでもかなり珍しい部類でした。

そのため一見簡単な仕事でも、体力的な問題などから高齢者には難しい仕事を定期的にもらえたりしました。

主にやったもので、

  • 祭りの屋台
  • 養鶏場だった場所にあった廃材の片付け
  • 保育園の屋根の掃除(職員が女性ばかりだったため)
  • 歯科医院の中、外の掃除(高齢の夫婦が経営してたため)

がありました。

祭り

けっこう体力を使う仕事でしたが、仕事自体は特別なスキルが要求されるわけでもなかったので、これといった専門スキルがなかった当時の僕でもこなすことはできました

りょうた
りょうた

リハビリみたいなもので徐々に『働くこと』に対して自信を取り戻していきました。

アルバイトを1年やった

2018年の年明けにシェアハウスを離れて水戸(実家)に帰ってきました。

シェアハウスからは離れたため単発のアルバイトがなくなりましたが、新たに始めたのが運転代行のアルバイト

2018年5月から約1年間働きました。

運転代行もそれまで全くの未経験でかつ運転代行のシステムも元々良く分かっていませんでしたが、代表が偶然にも僕の学生時代の同級生という偶然もあり楽しく仕事ができました。

この頃には働くことへの恐怖心もだいぶ薄れて、自分がなじめそうな環境下であれば普通に仕事ができるくらいにはなっていました。

フリーランスになった

そんな運転代行でしたが会社をたたむことになり2019年4月でアルバイトは終了しました。

ただ、2019年に入ったころ(特に春先)は、

  • ブログで月間20万アクセスを達成(収益も絶好調)
  • 本拠地の管理人
  • (たまに)ライター

など、アルバイト抜きにしてもある程度収入のベースもできてました。

水戸税務署
水戸税務署に開業届を提出

ある程度稼げるようになると、確定申告など税金の話も出てきたので、2019年6月17日に税務署に開業届を出して正式にフリーランスになりました

ニートから立ち直れた理由

感謝される経験を積み重ねたから

特にリバ邸茨城にいたときのアルバイトは管理人が仕事を取ってきてはいましたが、仕事の前後などのやり取りは僕が直接やっていました。

その中で僕が嬉しかったのが仕事の後に「ありがとう」と直接感謝されたこと

変な話、僕はトータルで5年近く会社員をやっていましたが仕事で感謝されたことがほとんどありませんでした
(厳密にはあったかもしれないですが、記憶にない)

そのため仕事をして感謝されるというのが(良い意味で)カルチャーショックでした。

ただ、感謝されることで「僕にもできることがあるんだ」と思えて、さらに「僕は価値がない人間なんかじゃない」と思えるようになりました。

自分に合う環境に身を置けたから

環境感受性(かんきょうかんじゅせい、Environmental sensitivity)とは,周囲の環境における情報を個人が知覚・処理する際の特性を表す。それは,多くの生物種においてみられる基本的な特性であり,我々が様々な環境に適応していくために極めて重要なものである。環境感受性の程度は個人(または個体)によって大きく異なり,同じ環境下に置かれても,その影響を強く受ける個人(個体)から,ほとんど受けない個人(個体)まで様々である。

環境感受性 Wikipedia

​HSP/HSCとは何か? HSP(Highly Sensitive Person)あるいはHSC(Highly Sensitive Child)とは、環境感受性がとくに高い人たちを表すカテゴリもしくはラベルです。そのため、HSPは「生きづらさ」を表すラベルではなく、「良い環境と悪い環境から、良くも悪くも影響を受けやすい人」として理解されています。  

HSP/HSCとは何か? Japan Sensitivity Research

最新の研究においてHSP(HSC)とは『(良くも悪くも)環境に影響されやすい人』と定義されています。

そのため、特にHSPに該当するであろう人は良い環境(自分に合う環境)が非常に重要になってきます。

僕の場合はシェアハウスもそうですし、水戸も実家ですが家族との関係も悪くないという点では、恵まれたと思いますし余計なことを気をつかわずに済んだのは良かったです。

特にHSPの人は、

  • 今いる環境が自分に合っているか(違和感がないか?)
  • どんな環境だと自分に合っているか(力が発揮しやすいか?)

をちゃんと考えてみましょう。

ここを考えて実践するだけでもだいぶ違います。

りょうた
りょうた

HSPの人は環境に影響を受けやすいとされているけど、HSP関係なしに『環境』はすごい重要だと思う。

HSPの僕がニートから立ち直るまで

  • 会社をクビニートになる
  • ブロガーになった
  • 単発のアルバイトもこなす
  • 1年ほどの長期のアルバイトをやった
  • フリーランスになった

ニート期間はだいたい2年。

この2年はまとまった収入もほぼなく、塾講師時代に貯めた貯金を切り詰めて何とかしのぎました。

お金はデメリットが先行した部分もありますが、ニートの期間こそが今の自分の基礎になったと思っています。

焦って次の転職先を早く決めたところで、その会社があなたに合う会社かは分かりません

ブラック企業の可能性もありますし、そうでないとしても僕みたく理不尽にクビになる可能性もあります。

お金の心配もわかりますが、長い目で見てじっくり自分のことを考えてほしいと思います。

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