「努力と不屈の精神で這い上がる」りょうたのプロフィール

ゆっくり楽しく生きるbyりょうた

こんにちは、りょうた@nr880622です。

このブログでは僕が、学生時代や会社員の時に経験した理不尽なことや辛かった経験をどう乗り越えてきたを中心に発信しています。

簡単なプロフィール

名前:長池涼太(ながいけりょうた)

1988年6月22日生まれで、人生の大半は茨城県で過ごしています。

 

現在はフリーランスという立場でブロガーや水戸にあるコミュニティスペース「本拠地」のスタッフなどとして活動しています。

 

小中学校の時は、同級生や先生から何かにつけて怒られたりなど理不尽な目に遭ってました

そんな環境から抜け出すために猛勉強し、高校、大学と進学。

 

震災もあって就職が決まらないまま大学を卒業しました。

 

その後何とか就職するも、最初に就職した派遣事務では仕事を覚えるのに時間がかかり「何でこんなこともできないの!」などと罵倒され鬱寸前まで追い込まれ2か月で退職。

次の塾講師は人間関係に恵まれつつ、長時間労働で常に体調悪い中の仕事に耐えられず4年やって退職。

 

そして、次に転職した農業では、「お前は価値のない人間だ!」と言われ、わずか3週間でクビになりました。

そこで自信を失いましたが、ふと出会った「ブログ」というものの可能性に賭けてブロガーに転身しました。

りょうたが大事にしてること
  • ちょっとしたことでもコツコツ積み重ねることで、たどり着ける場所がある
  • できないことはできないでも良い。その代わりできることに対しては人の倍の努力をする

この2つを自分の中の理念として、日々フリーランス、ブロガーとして活動しています。

 

理不尽な怒りに怯える日々

怒る父親

僕は小学校から中学校にかけて同級生や先生から理不尽な目に遭うことが多々ありました。

元々他人にそこまで意見などする事もなかったため、はっきりしないような姿勢から

 

「うじうじしてんじゃねーよ!」

 

 

と言われたり、それまで話したことのないような女子と席替えで隣になった時は

 

「何でお前が隣なんだよ!」

 

 

などとわけもわからず、怒られることが多々ありました。

あとは先生からは連帯責任や他の同級生のとばっちりで怒られることもありました。

突然このように怒られることもよくあったので、内心「いつ怒られるか…」とビクビクしながら過ごしていました。

 

中学生の時はテニス部でしたが、2年生になって新しくきた顧問がかなり厳しい先生で、ミスをしたり何かにつけてとにかく怒られました

 

またその顧問の空気感が同級生などにも伝染し、同じように同級生にも辛く当たられる日々を過ごしていました。

ミスすんなよ!」(連帯責任で怒られるため)など怒りに怯え、ただただプレッシャーのかかる日々でした。

 

こんな環境から脱したいと思い、高校は環境をガラリと変える意味で、同じ中学の人があまり進学しない高校を志望校としました

 

ただお金のかかる私立だったのもあり、親からは「特待生で受かったら良いよ」と言われたので、猛勉強しました。

 

この環境から抜け出したい

もう理不尽な目に遭いたくない

 

とにかく当時の環境が嫌だったので、ひたすら勉強しました。

 

その努力のかいもあって、約束通り特待生で受かり、親を納得させて進学することができました。

高校に入ると人間環境ががらりと変わり、楽しく3年間を過ごすことができました。

 

人生初の挫折

大学受験をするということで、当初は地元の国公立大学を志望校にしていました。

僕の志望校だった学科は当時2次試験がなかったため、センター試験が勝負でした。

 

高校3年間もひたすら勉強してきたので、受験の為に頑張ってきました。

が、センター試験は大失敗しました。

 

高校でセンター試験を受験した人が合同で答え合わせをしていましたが、あまりのショックに珍しく人前で泣きました

努力が報われなかったということがとても悔しかったです。

3年間頑張ってきたのに…

僕はこの程度の力だったのか…

思えばこれが人生で初めての大きな挫折でした。

結果としては、滑り止めで唯一受かった都内の私立大学に進学しました。

ただ、元々浪人して地元の国公立大学に再チャレンジと思ってたのに、親がすぐに都内の物件を探してしまった

ため、流れで進学することになってしまいました。

 

特に行きたくもない大学に行ってしまったので、「早く4年間終われ!」と思いながら、日々の大学生活を過ごしていました。

 

バイトやサークルもほとんどやってなかったので、ただただ家と大学の往復だけでした。

 

最初の就職。会社の怖さを知る

大学を卒業して就職するところでしたが、東日本大震災とぶつかったのもあり就職が決まらず卒業してしまいました

ただ、たまたま茨城県と派遣会社で当時は未就職者向けの支援事業をやっており、僕は派遣会社の契約社員という立場で、就職活動をすることになりました。

 

その就活の中で見つけたのが、地元の建設会社の事務職。

選考を受けて無事通ったので、その会社で働くことになりました。

 

ただ、入ったはいいけどすぐに結果を求められるような職場で、

  • 「なんでこれができないの?」
  • 「同じこと聞かないでしょ!」

と言われ、「そんなすぐ覚えられないよ…」と思いつつプレッシャーの中仕事をしていたら、入社から1か月で体調を崩し会社を休みました

 

病院で診察してもらったら、「過敏性腸症候群」と診断され、ストレスで胃腸が炎症を起こしているとのことでした。

(この過敏性腸症候群、基本的に完治はしないそうでこれ以後もストレスが溜まるとすぐに腹痛を起こす体質になってしまいました)

 

そこからも頑張って仕事はしましたが、やはり上司からのプレッシャーは収まらず、体もメンタルも限界に達したため、派遣会社に申し入れて2か月で退職することになりました。

 

その後、就職活動を再開し、内定をもらえた会社で塾講師として働くことになりました。

塾講師。人に恵まれて4年続いた

塾講師だった時のりょうた

塾講師は最初アルバイト扱いでしたが、頑張りも認められて4か月の試用期間を経て正社員になりました。

塾は結果的に4年やることになりますが、派遣事務と違って教育体制や人間関係が良かったから続けられたと思います。

 

入社したらいわゆる「メンター」(研修担当)の人がつくので、仕事の相談などはその人にするということができました。

 

僕の研修担当になった方は、10年その会社で働いていた方で、かつ他の業界も見ていた方なので柔軟に物事を考えられたり、視野も広く人として尊敬できる方でした。

 

もちろん、厳しい事を言われたこともありましたが筋が通っていて理不尽なことは決して言わない方だったので、「この人についていこう」と素直に思える方でした。

 

また、この方を含め仲の良い同僚や先輩たちと休みの日にフットサルやバスケをするなど人間関係も非常によく、派遣事務と違ってギスギスした空気感はあまりありませんでした。

 

ただ辛かったのが年を追うごとに増える仕事量と激減した休日でした

休みについては正社員1年目は100日ほどで残業も多少ある程度でしたが、最後の方には年間休日80日ほどでかつ残業も膨大だったため体にかなりの負担がかかりました

 

3年目に入った頃は、その激務から一度起きあがることができないくらいに体調が悪化してしまい、病院に行ったら

自律神経に異常がある」と言われ、安定剤などの薬を処方されました。

薬は退職まで毎日のみ続け、薬がないと体調の維持もできないような状態でした。

 

正直3年目に入るあたりで「辞める」ことについては頭にありましたが、

  • 石の上にも三年、つまり3年は働かなければいけない
  • 当時持っていたあるクラスがかなり良い子が揃っていたので、その子たちの卒業は見届けたい

 

という思いもあったので、そのクラスの卒業に合わせて4年やってから辞めようと思いました。

(ちなみにこのクラスは最終年に人事異動で担当を外れました)

 

そして僕のいた会社は、毎年秋に来年度続けるか辞めるかの意思確認を取っていたのですが、まずは研修担当の上司に退職の意思を伝えました。

上司からは、

 

  • 自分のやりたいことにチャレンジすることは素晴らしいこと
  • やるなら20代のうちにやっておいた方が良い

 

など悪いことは特に言われず、むしろ応援してくれることを言ってもらえました。

その後会社側にも正式に退職の意思を伝え、正社員としてちょうど4年で塾を退職しました。

農業。3週間でクビになり自信を失う

部屋で一人ぼっちの男性

当時の僕は「自然に関わる仕事をしたい」という思いがあり、その方向で転職活動をしていました。

その中で大学でも専攻していた「農業」をやってみようと思いました。

 

問題としては当時車の免許が「オートマ限定」だった僕ですが、農業は「マニュアル免許必須」の求人が多かった

こと。

そこで僕はもう一度教習所に行き、6万円をかけてマニュアル免許を取得(限定解除)をしました。

加えて弟が農業高校出身だったため、教科書など一式を借りて予習も入念にしました。

 

そこまでして農業方面で転職活動をして、地元の農業法人に採用されました。

 

ただその農業法人もかなりハードルは高かったようで、初日から

  • 「(仕事の)スピードが遅い!」
  • 「なんでこれできないの⁉」

 

などプレッシャーになることをたくさん言われました。

 

僕としては「せっかく見つけた転職先だから粘らなきゃ!」という思いもありましたが、2週間こなした段階で社長からは「今のままでは正規雇用はキツイ」とキレ気味に言われました。

 

それでも何とか粘って仕事をしていたのですがある日、仕事でミスをして上司の方を怒らせてしまいました。

そしてたまたま近くにいた社長の耳にも入ってしまいました。

 

そして社長から「もうお前にこの仕事は任せられない」と怒られ、その日は昼から夕方までひたすら野菜を入れるダンボールの組み立てを一人延々としていました。

そして、仕事が終わった後、社長に呼び出されクビを宣告されました。

クビだけではありません。

30分ぶっ続けで説教されて気が動転していたので大半の記憶は飛んでいるのですが、

 

「お前は価値のない人間だ」

 

 これだけはものすごく印象に残りました。

 おそらくこの言葉は一生忘れません。

 こうして僕は入社からわずか3週間で会社をクビになり、無職に戻ってしまいました。

 

無職に戻ったことで転職活動を再開したわけですが、「お前は価値のない人間

これが頭にすごく残っていて、心を完全に折られた僕は転職活動に身が入りませんでした。

 

もちろん、表面上はハローワークに行くなどはしていましたが、社長に言われたことが強烈に頭に残ってしまったために、自分が会社で働く姿というのが全く想像できなくなってしまいました

 

そのためただハローワーク行って、形だけの転職活動をする日々。

先の見えない日々が続いていました。

ブログに全てを賭けてブロガーに転身した

そんな気力を無くした日々を過ごしていく中で、ネットサーフィンをしているとあんちゃさんという女性のブロガーを

発見しました。

あんちゃさんもまた元々会社員をやっていましたが、仕事をしていく中で自身の想いを優先して、ブロガーに転身して生計を立てていました。

 

当時は他にも会社員経由でブロガーに転身した人が多かったのもあり、それぞれがすごく楽しそうにやっているのをネット上で目の当たりにしたので、そんなブログの可能性に賭けてブログを始めました。

 

ブログ開始2か月後にはあんちゃさんが東京でイベントをやるということで、ホテルを取ってまで行ってみました。

そこでの話が僕にはすごい響き、「僕もブロガーとしてやっていこう!」と決意しました。

他の人と違う道に行く勇気をもらいました

20代の人生戦略論

ちなみにこのイベント以後、ハローワークなどには全く行かなくなり、実質転職活動を取りやめることになりました。

それくらいブログに賭けたし、何より覚悟を決めました。

 

「会社員が無理なら、それ以外のやり方で僕は生きていく」

僕はそう思いました。

 

もちろん、当時はブログの専門的な知識はなかったので独学でしたが、覚悟を決めたため努力することだけは徹底しました。

 

感謝される経験を積み重ね、自信を取り戻す

リバ邸茨城の人達

ブログを始めたものの、今と違い当時は茨城県内にブロガー仲間がいなかったため一人でブログを書く日々でした。(Twitter上での交流はありました)

そんな中ブログを始めた翌年には、当時茨城県坂東市にできたシェアハウス「リバ邸茨城」に住むことになりました。

そこでは当時のブログ収入だけでは心もとないのもあり、たまに単発の仕事をこなしました。

(リバ邸茨城は2018年7月につくば市に「いろり亭」として再稼働しています。)

 

高齢者の多い地域だったため若いというだけで重宝され、祭りの屋台から保育園の掃除、パソコンの使い方が分からない高齢の社長の代わりにパソコン作業など幅広い仕事の依頼を受けこなしました

初めてやることばかりとはいえ特別の技能は要らなかったので、ただひたすら一生懸命やりました。

 

依頼者と直接やり取りをすることも多かったですが、その中で「感謝される」という経験を積み重ねることができました。

これにより、自信を徐々に取り戻すことができ、「僕も仕事で人の役に立つことができるんだ」と思うことができるようになりました。

というより、今思うと会社員の時の仕事で人から感謝されるということがほとんどありませんでした(笑)

 

フリーランスになり幸せを感じれるようになった

りょうた

特に本拠地にはお世話になってます

 

 

そして2019年でブログを始めて3年経ち、6月からは個人事業主(フリーランス)にもなりました。

ブロガーとしての活動に加えて、

 

 

としても活動しています。

 

この間に自信もついてメンタルの状態も好転し、フリーランスになったことで無職というあやふやではなく立場もしっかりしました。

また2018年の秋には自分が「HSP」という人一倍繊細な気質を持っていることも分かり、それをいかに活かしていくかもテーマの一つです。

HSPについて詳しくはコチラ
HSPとは何か。HSPまとめ記事

それぞれの仕事がある程度軌道に乗り出して、これらの仕事で生活は困らないくらいの状態に持っていくことができました。

 

今なら胸を張って言えます。

 

「会社員の時に比べたらはるかに幸せ」

 

自分の生きたいように生きていますからね。

 

発展途上だからこそまだまだ成長します

とは言え、今はまだ発展途上と思っています。

まだ会社員時代の収入には届いてないですし、フリーランスなってからも日が浅いです。

 

だからこそ、ここからの地道な努力が重要だと思っています

ブログの執筆や本拠地スタッフとしての活動など、大きなことはできなくても小さなこと、自分にできることを着実に積み重ねています。

 

そして何より、これから自分がどんなふうに成長していくかも楽しみです。

 

最後に

ゆっくり楽しく生きるbyりょうた

学生時代から会社員の頃は本当にいろいろありました。

 

僕はすごい仕事ができたり、すごい能力の高い人間ではありません。

 

むしろ仕事もそんなにできる方ではありませんでしたし、会社もクビになるような人間でした。

 

でも、それを自分の努力と不屈の精神で乗り越えてきました。

(もちろん家族や友人にも助けられました)

 

とは言え、何でもかんでも努力や根性で乗り切るのではなく、できないことはスパッと諦めます。

その代わり自分ができることに対しては並々ならぬ努力をしています。

やることはしっかりやり、時には緩く生きる。

 

そんな僕の生き方や発信を見て、少しでも前向きになったり、自分のやりたいことにたいして少しでもアクションを起こしてもらえたらと思います。

 

そして僕もそういう状態になれるようなブログを発信していきます。

 

僕のプロフィールを読んで、「良かった」「気になった」などあればSNSのフォローしたり、感想をいただけたら嬉しいです。

 

↓感想などあれば、ぜひ!(^^)

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