【12月10日オンライン参加も可】ブロガー交流会開催します

涼しく生きる運営者りょうたのプロフィール

長池涼太(りょうた)

当ブログ『涼しく生きる-スズイキ-』を運営している、りょうたです。

このブログでは僕が、趣味のメダカや自身の気質『HSP』を軸にのんびりした、ムリのない生き方を発信しています。

また過去に会社員をやっていたころは、勤めたいずれの会社もブラック企業でその中で転職活動も経験しました。

それを乗り越えてきた過程なども発信しています。

簡単なプロフィール

りょうた
名前長池涼太
生年月日1988年(昭和63年)6月22日
居住地茨城県水戸市
主な職歴建設会社派遣事務、学習塾講師、農業、運転代行
主な活動ブロガー、Webライター、コミュニティスペース本拠地管理人、ブログコミュニティ『イバライター』運営、HSP勉強会、会社辞めたあとのキャリア支援

最初に就職した派遣事務では仕事を覚えるのに時間がかかり「何でこんなこともできないの!」などと罵倒され鬱寸前まで追いこまれ入社2か月で退職

次の塾講師は人間関係に恵まれつつ、長時間労働で常に体調悪い中の仕事に耐えられず4年やって退職

そして、次に転職した農業では、「お前は価値のない人間だ!」と言われ、入社わずか3週間でクビになりました

そこで自信を失いましたが、ふと出会った「ブログ」に可能性に賭けてブロガーに転身しました。

理不尽と挫折の学生時代

理不尽な怒りに怯える日々

僕は小学校から中学校にかけて同級生や先生から理不尽な目に遭うことがよくありました

元々他人にそこまで意見することもなかったため、はっきりしないような姿勢から

「うじうじしてんじゃねーよ!」

と言われたり、それまで話したことのないような女子と席替えで隣になったときは

「何でお前が隣なんだよ!」

などとわけもわからず、怒られることがよくありました。

長池涼太(りょうた)
なにかと八つ当たりやとばっちりが多かった。

あとは先生からは連帯責任や他の同級生のとばっちりで怒られることもありました。

中学生のときはテニス部でしたが、2年生になって新しくきた顧問がかなり厳しい先生でミスをしたりなにかにつけてとにかく怒られました

またその顧問の空気感が同級生などにも伝染し、同じように同級生にも辛く当たられる日々を過ごしていました

こんな環境から脱したいと思い高校は環境をリセットするために、同じ中学の人があまり進学しない高校を志望校としました

ただお金のかかる私立だったのもあり親からは「特待生で受かったら良いよ」と言われたので、猛勉強しました。

この環境から抜け出したい

もう理不尽な目に遭いたくない

とにかく当時の環境が嫌だったので、ひたすら勉強しました。

勉強は人並み以上にできる数少ない特技?でした。

その努力のかいもあって約束通り特待生で無事に志望校に進学することができました。

高校に入ると人間関係や環境ががらりと変わり、楽しく3年間を過ごせました。

高校の友人や恩師とは、30歳を過ぎた今でも交流のある大切な人たちです。

りょうた
りょうた

のちにこの高校の友人、先輩、恩師には命を救われることにもなりました(後述)。

受験失敗という挫折とモヤモヤしていた大学生活

大学受験をするということで、地元の国公立大学を志望校にしていました。

僕の志望校だった学科は当時は2次試験がなかったため、センター試験が勝負でした。

が、センター試験は大失敗しました

長池涼太(りょうた)
大学受験が大きな挫折になりました。

高校でセンター試験を受験した人が合同で答え合わせをしていましたが、あまりのショックに珍しく人前で泣きました

努力が報われなかったということがとても悔しかったです。

3年間頑張ってきたのに…

僕はこの程度の力だったのか…

思えばこれが人生で初めての大きな挫折でした。

結局、悩んだ末に滑り止めで唯一受かった都内の私立大学に進学。

実は入学の少し後にファミレスのアルバイトにチャレンジしたのですが、あまりの厳しさにわずか3日で辞めてしまいました…

そのため、バイトやサークルもやらず、ただただ家と大学の往復だけでした。

自分の存在価値を否定され続けたブラック企業の日々

最初の就職。プレッシャーから鬱寸前に

大学を卒業して就職するところでしたが、東日本大震災とぶつかったのもあり就職が決まらないまま卒業してしまいました

当時は茨城県と派遣会社で未就職者向けの支援事業をやっており、僕は派遣会社の契約社員という立場で、就職活動をすることになりました。

その就活の中で見つけたのが、地元の建設会社の事務職。

選考を受けて通過したので、その会社で派遣事務として働くことになりました。

ただ、入ったはいいけどすぐに結果を求められるような職場で、

  • 「なんでこれができないの?」
  • 「同じこと聞かないでしょ!」

と言われ、「そんなすぐ覚えられないよ…」と思いつつプレッシャーの中で仕事をしていたら、入社から1か月で体調を崩し会社を休みました

病院で診察してもらったら、「過敏性腸症候群」と診断され、ストレスで胃腸が炎症を起こしているとのことでした。

(過敏性腸症候群は基本的に完治はしないそうで、これ以後もストレスが溜まるとすぐに腹痛を起こす体質になってしまいました)

もらった薬
過敏性腸症候群発症時に服用していた薬

そこからも頑張って仕事はしましたが上司からのプレッシャーは収まらず、体もメンタルも限界に達したため、派遣会社に申し入れて2か月で退職しました

その後、就職活動を再開し、内定をもらえた会社で塾講師として働くことになりました。

塾講師。上司に恵まれたが体が悲鳴をあげた日々

塾講師は最初アルバイト扱いでしたが、がんばりも認められて4か月の試用期間を経て正社員になりました。

僕が入社した塾はいわゆる「メンター」(研修担当)の人がつくので、仕事の相談などはそのメンターにできました。

僕の研修担当になった人は10年その会社で働いていて、かつ他の業界も見ていた方なので柔軟に物事を考えられたり視野も広く人として尊敬できる方でした。

一方で、辛かったのが年を追うごとに増える仕事量と激減した休日

休みも正社員1年目は100日ほどで残業も多少あるくらいでしたが、3年目、4年目には年間休日80日ほどでかつ残業も膨大(月40~70時間以上)で体にかなりの負担がかかりました

長池涼太(りょうた)
当時は常に体調が悪かったです

3年目に入った頃は激務から起きあがることができないくらい体調が悪化してしまい、病院に行ったら

自律神経に異常がある」と言われ、安定剤などの薬を処方されました。

薬は退職まで毎日のみ続け、薬がないと体調の維持もできない状態でした。

もらった薬
当時飲んでいた薬

正直3年目に入るあたりで「辞める」ことについては頭にありましたが、

  • 石の上にも3年、つまり3年は働かなければいけない
  • 当時持っていたあるクラスがかなり良い子がそろっていたので、その子たちの卒業は見届けたい

という思いもあったので、そのクラスの卒業に合わせて4年やってから辞めようと思いました。
(ちなみにこのクラスは最終年に人事異動で担当を外れました)

そして、入社3年目の終わりから4年目にかけてたまたま高校時代の先輩や恩師に再会する機会があり、そこで

りょうた
りょうた

仕事が辛くてやめようと思ってます…。

といった思いのたけを伝えました。

先輩や恩師は否定することなく聞いてくれました。

先輩たちは転職経験が豊富だったので、客観的な視点から退職・転職に関するアドバイスをしてくれました。

恩師は僕の話を聞いたうえでより具体的なアドバイスもしてくれたり、ジョブカフェという就職支援の施設も紹介してくれて、結果的にジョブカフェに行ったことで僕は退職の決意ができました。

りょうた
りょうた

この先輩や恩師たちは、『命の恩人』と思っています。

それを経て入社4年目の終盤。

まずはメンターの上司に退職の意思を伝えました。

上司は転職経験が豊富だったのもあり、

  • 自分のやりたいことにチャレンジすることはすばらしいこと
  • やるなら20代のうちにやっておいた方が良い

など悪いことは特に言われず、むしろ応援してくれることを言ってもらえました。

その後会社側にも正式に退職の意思を伝え、正社員としてちょうど4年で塾を退職しました。

農業。自分の存在価値を全否定された

塾講師を辞めた当時の僕は「自然に関わる仕事をしたい」と思っていました。

その中で大学でも専攻していた「農業」をやってみようと思いました。

問題は当時車の免許が「オートマ限定」だった僕ですが、農業は「マニュアル免許必須」の求人が多かったこと。

オートマ限定不可の求人
農業はほとんどの会社でAT車限定だと就職できない

そこで僕はもう一度教習所に行きマニュアル免許を取得(限定解除)をしました。

教習所の領収書
マニュアル免許取得のためにかかったお金。

ちなみにあらかじめオートマの免許は持っていたとはいえ、限定解除には4万円ちょっとかかりました。

大学の農学部で使った教科書を使って予習も入念にしながら転職活動をして、地元の農業法人に採用されました。

しかし初日から

  • 「(仕事の)スピードが遅い!」
  • 「なんでこれできないの⁉」

などプレッシャーになることをたくさん言われました。

それでもなんとか粘って仕事をしていたのですがある日、仕事でミスをして上司を怒らせてしまいました。

そして社長から「もうお前にこの仕事は任せられない」と怒られ、その日は昼から夕方までひたすら野菜を入れるダンボールの組み立てを延々としていました。

そして仕事が終わった後、社長に呼び出されクビを宣告されました

30分ぶっ続けで説教されていましたが、

おまえは価値のない人間だ

と言われてしまいました。

この言葉は一生忘れることはないです。

長池涼太(りょうた)
人としての価値を全否定されました

心を完全に折られた僕は社長に言われたことが強烈に頭に残ってしまったために、自分が会社で働く姿がまったく想像できなくなってしまいました

ただハローワーク行って、形だけの転職活動をする日々。

先の見えない日々が続いていました…。

りょうた
りょうた

将来を考えると転職はした方がいいと思った。

でも働くこと自体がトラウマになっている。

どうすれば…?

ブロガーになり自信を取り戻していく

ブログに全てを賭けてブロガーに転身した

気力を無くした日々を過ごしていく中で、ネットサーフィンをしているとあんちゃさんという女性のブロガーを発見しました。

あんちゃさんも元々会社員をやっていましたが、仕事をしていく中で自身の想いを優先して、ブロガーに転身して生計を立てていました。

当時は他にも会社員経由でブロガーに転身した人が多く、それぞれがすごく楽しそうにしているのをネット上で目の当たりにして、ブログに可能性を感じてブログを始めました。

ブログ開始2か月後にはあんちゃさんが東京でイベントをやるということで、ホテルを取ってまで行ってみました。

あんちゃさんイベントスライド
2016年10月。都内にて20代の人生戦略論というイベントに参加

そこでの話が僕にはすごい響き、「僕もブロガーとしてやっていこう!」と決意しました。

他の人と違う道に行く勇気をもらいました

20代の人生戦略論
20代の人生戦略論集合写真。このとき本気でブロガーとしてやっていこうと決意した

このイベント以後、ハローワークなどにはまったく行かなくなり転職活動を取りやめることになりました。

それくらいブログに賭けたし、覚悟を決めました。

りょうた
りょうた

会社員が無理なら、それ以外のやり方で僕は生きていく

僕はそう思いました。

当時はブログの専門的な知識はなかったので独学でしたが、覚悟を決めたため努力することだけは徹底しました。

感謝される経験を積み重ね、自信を取り戻す

リバ邸茨城の人たち
2018年9月。リバ邸茨城にて「居酒屋りばてぃ~」開業

ブログを始めたものの、今と違い当時は茨城県内にブロガー仲間がいなかったため一人でブログを書く日々でした。(Twitter上での交流があったくらい)

そんな中ブログを始めた翌年には、当時茨城県坂東市にできたシェアハウス「リバ邸茨城」(現いろり亭-空-SORA)に住むことになりました。

シェアハウスのメンバーと夜中まで飲み明かすこともありました(笑)

シェアハウスに移ってからは当時のブログ収入だけでは心もとないのもあり、たまに単発の仕事をこなしました。

  • 祭りの屋台
  • 養鶏場の解体現場の片付け手伝い
  • 保育園の屋根の掃除
  • 歯科医院の建物内と周りの掃除
  • パソコンの使い方がわからない高齢の社長の代わりにパソコン作業

高齢者の多い地域だったため若い(20代)というだけで重宝され、幅広い仕事の依頼を受け、とにかく一生懸命にこなしました。

依頼者と直接やり取りをすることも多かったですが、その中で「感謝される経験」を積み重ねることができました。

感謝されることで、自信を徐々に取り戻すことができ、「僕も仕事で人の役に立つことができるんだ」と思うことができるようになりました。

今思うと会社員の時の仕事で人から感謝されるということがほとんどありませんでした。

リバ邸茨城を卒業
2018年1月。リバ邸茨城卒業時の送別会

そうして、会社をクビになったことで失っていた自信を取り戻し、「地域の役に立ちたい!」という新たな目標を見つけて地元の水戸に帰還しました。

フリーランスになり幸せを感じれるようになった

本拠地という場所を見つけた

りょうた
現在僕が管理人を務める水戸のコミュニティスペース本拠地運営の塩畑夫妻と。

そして2019年でブログを始めて3年経ち、6月からは個人事業主(フリーランス)にもなりました。

今は水戸にある「コミュニティスペース本拠地」の火曜日と木曜日の管理人もやっています。

本拠地は、僕がリバ邸茨城から水戸に帰ってきた2018年の年明け当時に本拠地が立ち上がるということを知りました。

同時に本拠地の運営者(ギルドマスター)のソルティーさんもブロガーであることを知り3月~5月の2か月間はソルティーさんに集中的にブログを教わり、当時月7000アクセスだったのが5月の段階で月3万アクセスまで伸ばすことができました。

ブログセミナー
当時のブログセミナー

そこから当時ソルティーさんが運営していたブログのオンラインサロンにも入り、そこでブログの実力をさらに伸ばし、秋からは僕も講師側に回ってサロン生にブログを教えたりもしていました。

そして2019年に入ってからは、それまでの努力が実を結び、4月には月間10万アクセス、5月には月間20万アクセスを記録することができました。

月間20万アクセス達成

収益としても、Googleアドセンスと物販(Amazon、楽天)を合わせて月間5万円ほどをブログだけで稼ぐことができました

本拠地も2018年の4月の創業から通いつめて、2019年の2月からは火曜日と木曜日の管理人になりました。

たまにブログ仲間が本拠地に遊びに来ることもあるので、そのときはSEOなどブログ談義をしていることもあります。

りょうた
りょうた

有料級のお得情報がタダで聞けるチャンスかも(笑)

HSPだと知り自己理解がより進んだ

2018年の9月に『HSP』という気質を知りました。

HSPを知ることで自分の気質にも目が向くようになり、普段の生活でも意識することでかなり心地いい生活ができるようになりました。

HSP勉強会
本拠地でもHSP交流会(HSP勉強会)を開催しました。コロナ禍以降はオンラインでも開催しています。

最近はHSP勉強会を開催し、HSPの正しい理解を通じて普段の生活から仕事までいろんなことにHSPを生かしたり、HSPをきっかけに自分に向き合うことを提唱しています。

自分の価値を見いだせている

ブロガー交流会ミックスアップ
水戸で開催されたブロガー交流会。

こうして、ブロガーとしてフリーランスとして楽しくやっています。

今はブロガーはもちろん、HSPやブラック企業・労働問題に関する活動がメインですがそれぞれで精力的に活動しています。

「お前は価値のない人間だ」なんてもう言わせません。

りょうたの活動

詳しいメディア出演・掲載実績はコチラ

茨城県のHSP第一人者

毎日新聞でHSPのブロガーとしてのインタビューが毎日新聞に掲載されました。

当時はHSPが新聞で取り上げられることも少なく、先駆けて個人としてHSPについて取り上げていただきました。

なお当記事はかなりの人に診られたみたいで、毎日新聞のアクセス数ランキングで最高で10位になりました。

ちなみにこの記事の掲載後から「茨城県のHSP第一人者」という肩書を使うようになりました。

このほか、朝日新聞に掲載されたりラジオ番組に出たこともあります。

りょうた
りょうた

今後も新聞やラジオなど様々な媒体の取材お待ちしてます。
HSPだけでなく、ブラック企業やブログに関することでも大歓迎です。

ブログコミュニティ『イバライター』の運営

イバライター

2022年9月よりブログコミュニティの運営もしています。

ブログについて日々情報交換したり、勉強会も開催しています。

ブログのアクセスを上げたい、ブログで稼ぎたい…そんな方の参加をお待ちしています。

ブラック企業・労働問題研究

ブラック企業座談会
以前はブラック企業座談会も開催しました

僕はこれまで様々なブラック企業で働いてきました。

パワハラ、長時間労働、残業代未払いなど様々な労働問題に自信が直面してきたり、それで悩んでいる人もたくさん見てきました。

僕や当ブログの存在がそのような人にとって少しでも解決の糸口になれればと思います。

コミュニティスペース本拠地管理人

コミュニティスペース本拠地
1日300円でコワーキングスペースも利用できます

水戸にあるコミュニティスペース本拠地の火曜日と木曜日の管理人をやっています。

普段はここでブログやライター記事を書くなど仕事をしていますが、HSPやブラック企業に関する相談も随時乗っています。

最後に

長池涼太(りょうた)

僕はすごい仕事ができたり、すごい能力の高い人間ではありません。

むしろ仕事も出世や昇給することがありませんでしたし、会社をクビになることもありました。

やることなすことが地道ですが、そんな僕でも這い上がれたことをブログなどを通じてお伝えできればと思います

僕の生き方や発信を見て、少しでも前向きになったり、自分のやりたいことに少しでもアクションを起こしてもらえたらと思いますし、「良かった」「気になった」などあればSNSのフォローをしたり、感想をいただけたら嬉しいです。

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りょうたの主な活動