著者:長池涼太(ブラック企業研究家)
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- 隣の席から聞こえるため息
- 強く打ちつけるタイピング音
- ボールペンのカチカチという音
こうした職場の「音」をめぐるストレスが、「音ハラスメント(音ハラ)」という言葉で語られるようになった。最近はSNSで見かけるようにもなりました。
ただ、ブラック企業を10年以上研究してきた立場から見ると、この「音ハラ」という言葉の広がり方には、違和感があったり少し立ち止まって考えたい部分もあります。今回は、「音ハラ」をどう捉えるべきかを掘り下げていきます。

ブラック企業研究家
長池 涼太
ブラック企業において過労死寸前の長時間労働やパワハラを経験。その経験をもとに大学などでブラック企業の実態やブラック企業で壊されたキャリアの再生方法等を解説。
「音ハラ」とは何か?広がる悩みの実態

音ハラスメントとは、職場での不快な音や騒音によって周囲に精神的苦痛を与える行為を指します。
従来のハラスメント分類には含まれていませんでしたが、オープンオフィスの普及や働き方の多様化により、新たな職場問題として注目されています。特徴は、加害者が無自覚であることが多い点です。
悪意がなくても、継続的な音が集中力を阻害し、業務効率の低下やストレスにつながります。現時点で法令上の明確な定義はなく、通念上ハラスメントと認識されているにとどまります。
音ハラスメントとは?企業が知るべき実態と対策方法を詳しく解説
音ハラに法的な定義はなく、厚生労働省もパワハラやセクハラのような明確な基準を示していない。一般社団法人日本ハラスメント協会は、音ハラかどうかの判断目安として以下の4点を挙げています。
- 「繰り返されているか」
- 「長期間にわたっているか」
- 「多くの人が影響を感じているか」
- 「業務に必要な音か」
具体例としては、周囲に聞こえる独り言、不必要に大きいタイピング音、鼻をかむ音、ペットボトルを潰す音などが挙げられるそうです。
違和感の正体|「不快」と「ハラスメント」は同じではない
ここで一度立ち止まりたいのが、「ハラスメント」という言葉の使い方そのもの。パワハラやセクハラには、多くの場合、相手を見下す、攻撃する、支配するといった「悪意」や「優位性の濫用」という要素がある。
たとえば以前当メディアでも取り上げられた「化粧品メーカーのD-UP(ディー・アップ)」の件では、女性社員が社長に「大人をなめるな」「野良犬」などの罵倒(パワハラ)を受けた末に自殺した痛ましい事件がありました。この件は1億5千万円の和解金に加えて社長の辞任という形でひとまずの決着はつきました。
一方で、タイピングの癖や、鼻をかむ・咳をするといった生理現象には、基本的に悪意がないです。
「不快である」ことと「ハラスメントである」ことは、本来別の話ではないでしょうか。職場には様々な人がいて、音の感じ方にも個人差がある。すべての不快な音を「ハラスメント」という枠に押し込めてしまうと、本人に悪意がない自然な行動まで「加害(ハラスメント)」として扱われかねないです。

これは、音に敏感な人の悩みを軽視しているわけではないです。ADHDやASDなどの発達障害、HSP(人より感受性が高い人)といった特性を持つ人にとって、音による集中力の低下が深刻な問題になりうることは事実であり、配慮は必要です。問題は、その配慮の必要性と、「ハラスメント」というラベル付けを、安易に同一視してしまうことではないでしょうか。
背景にあるのは「職場の余裕のなさ」ではないか
対応には難しさもある。労働問題に詳しい村松由紀子弁護士のもとには、部下から音ハラに関する報告を受けた上司から「特定の人に注意すると人間関係が悪化しそうだが、どうすれば良いか」などといった相談が寄せられる。
職場で「音ハラ」してません? ため息や強いタイピング、仕事に支障 – 日本経済新聞
音ハラ研究家への取材記事の中で、弁護士のもとには「部下から音ハラの報告を受けたが、特定の人に注意すると人間関係が悪化しそうで対応に困っている」という上司からの相談が寄せられているという話が紹介されていた。この「注意しづらさ」自体が、すでに職場の人間関係に余裕がないことの表れだと感じています。
僕自身、過去にブラック企業に近い環境で働いていた頃を振り返ると、些細な音に異常にイライラしていた時期があった。長時間労働や理不尽な人間関係によるストレスで心の余裕がなくなると、普段なら気にならないような些細な音まで、攻撃的に感じられてしまう。一方、ストレスの少ない環境に身を置くようになってからは、同じような音が気にならなくなった。
つまり「音が気になって仕方がない」という状態は、音そのものの問題だけでなく、その人が置かれている職場環境のストレス値を映し出すバロメーターでもある可能性がある。これまで300件以上のブラック企業の事例を見てきた中でも、人間関係の悪化や慢性的な過重労働の現場ほど、些細なことへの苛立ちが表面化しやすい傾向を感じています。
「〇〇ハラ」が増えすぎることのリスク

もう一つ懸念しているのは、「〇〇ハラ」という言葉が増えすぎることで、職場全体が萎縮してしまうリスクだ。何でもハラスメントと名付けられる空気が広がれば、上司は部下への指導をためらうようになり、同僚同士の雑談や、咳・くしゃみといったごく自然な生理現象にまで、過剰に気を遣わなければならない息苦しい職場になってしまう。
さらに本質的な問題として、軽微な事柄まで何でも「ハラスメント」として一般化してしまうと、本当に深刻な、悪意を伴うハラスメントが起きたときに、その重大さが相対的に薄れてしまう恐れがある。言葉のインフレは、本来守られるべき人を守りにくくする副作用を持つ。
結論:個人攻撃ではなく、環境を整えるという発想

音への感じ方に個人差があるという事実は、誰もが理解しておくべきです。独り言や強いタイピング音など、本人が意識すれば軽減できるものについては、周囲への最低限の配慮を持つことが望ましいです。
しかし、その対応の軸は「特定の個人を名指しして注意する」ことではなく、「職場環境そのものを調整する」ことに置くべきだと考えています。たとえば日本ハラスメント協会代表理事の村嵜さんは以下のような提言を新聞記事内でしていました。
「独り言やタイピング音などは改善できる音なので、加害者へ注意を促す必要があります。鼻をすするなどの改善できない音は、相談を受けた上司が個人的な判断を下すのではなく、被害者の話をそのまま経営者へ伝えること。経営者は、社員の仕事の質の低下に影響することだと理解したうえで、イヤホンの使用を認める、固定席を持たずに好きな席で働ける『フリーアドレス』を導入するなどの対応が必要です」
職場の音ハラとは?不快なブツブツ、ズーズー、ッターン!への対応策 : 読売新聞
実際に、フリーアドレス制の導入やイヤホン使用の容認、静音タイプのキーボードへの切り替えといった環境面の工夫で、問題が解消に近づいたという事例もあります。誰かを「加害者」と決めつけるのではなく、働き方の自由度を高め、職場全体の負担を減らす発想を持つこと。それが、生産性の低下を防ぎながら、息苦しくない職場をつくる近道ではないでしょうか。
「音ハラ」という言葉が独り歩きする前に、その音の向こうにある「職場の余裕のなさ」にも、目を向けてみてほしいです。
音ハラは比較的新しいワードのため、ハラスメントの線引きや言葉の定義など難しい要素も多いです。涼しく生きるでは学生に向けた多様なキャリアの話から、企業に向けてハラスメント防止策など様々な知見をお伝えしています。

